天国での会話を想像してみた
仮に私が今この世を去った場合……。
天国に行けたはいいものの、神様がこう質問してきました。
「おい君。人間界ではどんな楽しい経験をしてきたんだ?」
「必死に生きてきましたが」
「えっ? それだけ? もったいぶらずに教えなよ?」
「だって、本当にないんです。仕事もつらくて……苦しかったです」
「あっ、そう。それは災難だったね。で、愛する人は幸せにできた?」
「恋人はいませんし……強いていうなら、親孝行はできるだけしました」
「君の親ってのは、君を幸せにするためにいるんだろ。そうじゃなくて、君は愛する伴侶を幸せにできたのかってこと」
「いえ、嫁も子供もいませんよ。それに特定の誰かを幸せにするなんて、僕には、とても……」
「もったいないなぁ。本当の喜びを知らないまま、こっちに戻ってきちゃったんだね」
「すいません」
「じゃあさ、世界平和のために何かした?」
「世界平和……?」
「それもしてないの?」
「はい……」
「もったいないなぁ」
人生でやりたいことって「できるか」ではなく「やるかやらないか」だと思います。「やっぱできないかも」では恐らくうまくいかないでしょう。
だって「やる」ってなったら、どうすればうまくいくか……常に考えるから。
人生を20年も生きた大人が、必死で考えればきっと解決策は見つかるはず。
今の時代、ネットがあれば何でも調べられる。
動かせる手があれば、何かができる。
歩ける足があるならどこへだって行ける。
それを忘れて、毎日を無駄に生きてたのなら、それはもったいない。
神様ならきっとそういうでしょうね。
たった一度の人生なら、やりたいことをやって、
武勇伝を語って
楽しい思い出をいっぱい話して
最高の人生として、神様に自慢したいですね。
できるかなぁ……。